私(Kumiko)は子どもらしくない子どもでした

「子どもの頃は楽しかったよね」なんていう話をよく聞きますが、私(Kumiko)には、楽しかった子ども時代の記憶というものがありません。もしかしたら、記憶に残らないくらい幼い頃にそういう経験をしていたかもしれませんが、思い出せる記憶としてはありません。とはいっても、私はものすごくひどい家庭環境で育ったわけでもありません。
「楽しいから」遊ぶのではなく、「遊ばないといけないから」遊んでいました。私にとっては、すべてが「しなければならないこと」でした。いつも周りの目を気にし、周りの期待に応えようと頑張っていましたが、周りの期待に応えられない自分を「悪い子」だと思って責めていました。
子どものくせに、人生に疲れていました。ある意味、生意気な子供だったのかもしれません。物心ついた時(5〜6歳頃)から、私は毎日自殺することばかりを考えていました。


学校は大嫌い、でも家に居場所もない

小学校に入ってからは、もっと大変でした。何をするのも人一倍遅かった私(Kumiko)は、一日中緊張して一生懸命急いでいました。ホッとできる瞬間というものがありませんでした。学校ですることと言えば、勉強するか、休憩時間に遊ぶか、給食を食べるかのどれかですが、私はそのどれも好きではありませんでした。「友達と遊ばないといけない」から一生懸命頑張って友達もつくりました。でも、表面的に合わせていただけで、楽しかったという記憶はありません。
毎日のように頭痛、めまい、倦怠感に悩まされ、学校に行くのが嫌で嫌でたまりませんでしたが、不登校(昔は登校拒否と言いました)になる勇気もありませんでした。家の中も私にとってホッとできる場所ではありませんでした。いつも親の顔色を気にして、家の中でも緊張していました。毎晩のように家族が寝静まってから泣いていました。「このままずっと朝が来なければいいのに…」と思っていました。本気で人生を終わらせたいと思っていました。


どうしたら死ねるのだろう?

当時の私の行動範囲の中で、一番高い建物と言えば、スーパー(ダイエー)でした。私の記憶では、6階建てだったと思います。ある日、母と一緒に買い物に行った時、珍しく最上階に行きました。「屋上から飛び降りたら死ねるかもしれない。」そう思った私は、母の目を盗んで屋上へと階段を上っていきました。結局は、屋上に出るドアに鍵がかかっていて外に出られず、(今になって考えるとあたりまえなのですけど、当時は子供だったので…)とてもがっかりしたのを今でもはっきり覚えています。
それから高層ビルを見るたびに、「どうしたら屋上に行けるのだろう?」と考えていました。テレビで自殺や自殺未遂のニュースを見るたびに、「どうしたら完全に死ねるのだろう?」と考えていました。完璧主義なところがある私は、絶対自殺未遂だけはしたくないと思っていました。だから、仕方なく、完全な方法を見つけるまで、生きていることにしました。


人生を180度変えた一つの出会い

毎日死ぬことばかり考えていた私でしたが、たった1つの出会いが私の人生を180度変えました。小学5年の夏休みの出来事です。(詳細については、また別の機会に。)その日を境に、私は「生きる」ことを考えるようになりました。私の人生において、1つの大きな転機です。もちろん、その後もたくさん大変なことはありました。でも、死ぬのではなく必死に生きようとしました。
もし、その出会いがなかったら、私はもうとっくにこの世に存在していないと思います。こうやってブログを書くこともなかったでしょう。そして、たぶん大人になることも…