学校嫌いな先生がいたっていいじゃない?

私(Kumiko)は、子どもの頃学校が大嫌いでした。今でも、少し苦手な部分があります。でも、昔よりずいぶんましです。いまだに机に向かっていること自体は好きではありませんが、大人になっていろんな年代や仕事の人が集まって学ぶ場所に行く機会があり、バックグラウンドが違う人が同じことを学ぶと、みんな見方が違って面白いと思うことがありました。
それなのに、「学歴がある=勉強が好き(得意)=学校が好き」という図式で見られることが多いように感じます。そのため、私はこれまでたくさん誤解されてきました。そのため、とても悩んだ時期がありました。
では、なぜ、私は学校が嫌いだったのでしょう?少し振り返り、分析してみたいと思います。


<理由@> 勉強が嫌い

私(Kumiko)は、とにかく机に向かって勉強することが嫌いでした。そして、今でも苦手です。すぐに頭が痛くなったり、めまいがしたり、具合が悪くなってしまいます。かといって、勉強しない子だったかというとそういうわけでもありません。何をするにも人一倍時間がかかるタイプだったので、次の日に授業でやりそうなドリルなどは、前もって家で半分やったりしていました。一人だけ最後までできないでいると、目立ってしまいますから。それくらい、当時は人目に付くこと、目立つことを恐れていたんですね。
それに、嫌いなものを先に食べて、好きなものを後に残すタイプだったので、嫌いな勉強を先に済ませて、後で楽をしようと考えたわけです。小さい時は、大人になったら勉強をしなくていいのだと信じていました。小学校の高学年になって、大人になっても一生勉強しなければいけないという現実がわかるようになった時、とても、とてもショックだったのを今でもはっきり覚えています。


<理由A> 周りになじめない

私(Kumiko)は、同年代の子となじめませんでした。他の子たちにとって、楽しいこと、好きなことが、私にとっては苦痛でストレスだったのです。「友達と仲良く遊びましょう。」と言われるから、頑張って遊んではいましたけれど、それは表面を合わせているだけ。
とにかく周りから受け入れられるために、仲間に入れてもらうために、周りがどう行動して、何を話すのかを見て聞いて、一生懸命真似していました。作文や感想文も、どう書けば受け入れられるのか、よい評価がもらえるのかを一生懸命考えて、それを実行に移していただけ。すべてがパフォーマンスで、自分の気持ちや感情とは無関係でした。そんなことをしているうちに、自分の感情を見失ってしまいました。
それは学校の中だけではなく、親戚の集まりでも同じでした。私は伯父さんや叔母さんたちの輪の中にいる方が落ち着きました。でも、いつも「子どもはあっちへ行って遊んできなさい。」と言われ、同年代のいとこたちと遊ばなければいけませんでした。

 

★ なぜ、子どもは子ども同士で遊ばないといけないのでしょう?
★ 大人の輪の中にいる私は、悪い子だった?

 

「人の中にいるほど、孤独を感じる。」そんな自分に、何となく罪責感を持っていました。


<理由B> 競争が嫌い

私(Kumiko)は、競争すること、優劣がつくことが嫌いでした。テストには点数が付き、競技にも順位が付き、スポーツやゲームにも勝ち負けがあり、通信簿にも評価がある。学校は、評価、競争にあふれています。どこにも心の休まる場所はありませんでした。
スポーツや競技が嫌いだった私は、自分は体を動かすことが好きではないのだと思い込んでいました。社会人になって一年目、急速な体力の衰えを感じた私は、エアロビクスを習い始めました。これが意外と自分に合っていたのですね。自分でも少し驚きました。そして、はじめて気づきました。私が嫌いなのは、体を動かすことではなく、競うことなのだということに。


教育の可能性を感じた瞬間

私(Kumiko)には、重度の障害を持った妹がいました。妹は、養護学校、今でいう特別支援学校に通っていました。ある時、夏休みに登校日があり、私も母と一緒に妹の学校についていきました。そこで目にした光景は、私が受けている学校教育とは全く異なりました。
うまく説明できませんが、型に当てはめてそれに合うように行動することを求めるのではなく、持っている能力を少しでも引き出そうとしていました。私が受けてきた教育が既製品であるとすれば、オーダーメイドの教育がそこにあるように感じました。
妹は障害の程度が重かったので、養護学校(特別支援学校)の中でも特別なクラスにいたため、それは当たり前だったのかもしれません。一律の評価基準に当てはめて評価するというのは、どう考えたって、出来そうにありませんから。妹の通信簿(らしきもの)には、今学期はこれができるようになりましたみたいなことが書かれていたように記憶しています。

 

学校嫌いの私が、教育の可能性を感じた出来事でした。