私(Kumiko)が子どもの頃の新学期の思い出と言えば、「クラス分け」と「担任の先生」の発表です。みんなで押し合いながら掲示板のそばに集まり、張り出される模造紙に書かれた名前を必死に探しました。自分のクラスの教室に行くと、「時間割」の発表があり、中学や高校では、各教科の担当の先生の発表もありました。私と同様に多くの人にとって、担任の先生は学校側から決められるものだと思います。
私が高校の教員をしていたとき、面白い取り組みをしました。生徒たちに、担任の先生を選んでもらったのです。
以前にも書いたとおり、私が勤務していたのは分室のため、常勤の教員は3人しかいません。教員歴数十年の国語の先生(男性)と社会人1年目の英語の先生(女性)、そして、数学の先生である私の3人です。3人とも、全くタイプが異なります。
導入に当たっては、いろいろな懸念事項がありました。一人の先生だけに人気が集まってしまったらどうしようとか、一番甘やかしてくれそうな先生に生徒が集中したらどうしようとか、先生によって受け持つ担任の生徒数に大きな開きが出るのではないかと心配しました。
いざ、蓋を開けてみると、面白い結果になりました。生徒の数が、どの先生もほぼ同じになったのです。先生によって偏りが出るのではないかと心配していたので、この結果は私たち教員にとっても意外でした。
それぞれの先生を選んだ理由としては、国語の先生はベテランだからという理由が多く、英語の先生は年が近くて話しやすいからという理由が多く、私の場合は、一番社会を知っていそうだからという理由が多かったです。選んだ理由は、生徒一人一人違いました。自ら選ぶということは、自分で考えて結果に責任をもって選択するということなので、生徒たちにも良い影響を与えたようでした。
自分が一番勉強しないといけない科目の先生を選んだ生徒もいました。例えば、理系に進学したいから数学の先生である私を選ぶとか英語の学力をもっと上げる必要があるから英語の先生を選ぶといった感じです。
中には、自分の好きな先生としか話さなくなるのはよくないので、あえてどの先生でもいいと答えた生徒もいました。生徒なりに、今、自分に何が必要か、どの部分を成長させないといけないかをちゃんと考えているのですね。安易な道を選ぶのではないかという私たち教員の心配は、取り越し苦労だったようです。
なぜ、その先生を選んだのか(選ばなかったのか)という理由は、その後の生徒指導を行う上で、とても参考になりました。そして、生徒が何を求めているのかを知るよいきっかけとなりました。
生徒に担任の先生を選んでもらうという画期的な取り組みを行ってみて、あらためて理想の先生像、どういう人が先生に向いているかを議論するのは難しいと思いました。生徒によって、求めているもの、必要なものが違います。それなのに、教員を養成するためのプログラム(システム)が画一化されすぎているように思います。
実際に教育現場に出てみて、あらためていろんなタイプの先生が必要なのだと思いました。これは、一教員レベルでどうこう出来る問題ではないのかもしれません。もっと、もっと大きな問題のような気がします。