何を目指して教育するのか?

教員をしながら私(Kumiko)がいつも考えていたことは、何を目指して、何処を目指して教育したらいいのだろうということでした。生徒たちが望んでいるもの?それとも、親が望んでいるもの?学校側が教員に求めているもの?いい大学に合格させるのが学校の役割?果たしてこれでいいのだろうかと、いつも私の頭の中には疑問が残っていました。
ゴールが定まらないから、今すべきことがわからない、そんな感じでした。車を運転するときに、遠くを見るとハンドルがぶれないように、遠くを見据えて教育をすれば、方向性がぶれないのではないかとも思いました。でも、現実は、目の前の出来事に振り回されているような気がしました。


教育の価値って何?

自分の人生に振り返ってみて、教育の本当の価値がわかるのは、何年も後になってからのことがあります。10年も20年も経ってから、あの時先生が言った言葉の意味が、やっと少しわかってきたということもあります。その言葉が発せられた時には、何の価値も意味も言い出せなかったのに。教育の意味や価値は、何処の時点で評価し、判断したらいいのでしょうか?とても難しい問題だと思います。
それは、学校教育だけにかかわらず、上司が部下を指導するということにおいても然りです。半年後に最高のパフォーマンスができるように指導するのか、3年後に最高のパフォーマンスができるように指導するのか、それとも10年後、20年後を見据えて指導するのか?上司としての自分の評価を考えると、半年後に最高のパフォーマンスを生み出せるように教育・指導するのがよいのでしょう。1年後には自分の部下であるかどうかさえ分からないのですから。でも、部下のことを考えた時に、果たしてそれがいいのでしょうか?
そんなことを考えるときに、生徒が好む授業、学校側が求める授業をすることが、本当にいいことなのだろうかと疑問が生じました。


本当によい授業とは… - 誰のための授業? -

夏休みに、教員の研修がありました。その際、模擬授業をする時間もありました。模範とされる先生の授業を見たのですが、私(Kumiko)は、個人的にその先生の授業があまり好きではありませんでした。その先生の授業を非難するつもりはありません、ただ私にはあまり合わなかったのです。生徒たちはどう思っているのだろう?素朴な疑問が、私の心に生まれました。
私が担任をしている生徒で、その先生の授業を受けたことがある生徒たちに聞いてみました。その先生の授業はどうだったか、私にも同じような授業をしてほしいかを。すると、生徒たちは、あの先生の授業はあまりよくなかった、今のままの方がいいと言いました。生徒たちの返答を聞いて、正直、私は迷いました。


大先輩の先生に相談してみたけれど…

この疑問をキャンパス長の先生に相談してみましたが、納得のいくような返答は得られませんでした。学校側が求める授業をするのか、それとも生徒に必要な授業をするのか、悩んだ末、生徒のための授業をすることを私(Kumiko)は選びました。この決断が正しかったのかどうか、今でもわかりません。
ほとんどの生徒と親が、いわゆるいい大学、偏差値の高い大学に進学することを望みます。でも、私はそれがすべてではないと思います。そのことを伝えたいから、私は教員になったはずでした。いろんな生き方、いろんな考え方、いろんな輝き方があることを伝えるために…。


いい大学を卒業しても…

ハローワークで働いていた時、30歳の男性が相談に訪れました。彼は、東大に合格し、そして大学院に進学しました。オーバードクターで就職先が決まらず、ハローワークに相談に訪れたのでした。アルバイトもあまりしたことがないということで、社会適応が難しそうな印象を受けました。
教師の役割とは何なのでしょうか?生徒たちが自分の頭で考えて、自分で決断を下し、ちゃんと地に足をつけて、自分で生きていけるよう育てることでないかと私(Kumiko)は思います。一人一人に使命(生きている意味)があると信じ、その道に進むことができるよう励まし、訓練することが教師としての自分の役割ではないのかと、私は思いました。