教員時代の私(Kumiko)の口癖は、「どう思う?どうしたい?」でした。これは何も学校に限ることではありません。部下を持って社会で働いていた時にも、私は部下に対して同じようなことを言っていました。でも、「ああしなさい、こうしなさい」と言われて育った生徒たちには、とても新鮮に映ったようです。
例えば、こんな感じです。
生徒:「先生、どうやって勉強したらいいの?」
私 :「勉強の仕方って色々あるよね。
人によって、どれがいいかっていうのも違うし…」
「例えば、教科書や参考書を読んで
ノートにまとめなさいっていう人もいるし、
人形を相手に教えるのが一番理解が進むっていう人もあるし、
塾に行ってカリスマ講師の授業を聞く(DVDで見る)のが
一番だという人もいるし…」
「先生の場合は、何度も何度も繰り返し、問題集をやったかな。
ノートを取るのがすごく苦手でね〜
教科書や参考書を読んでも全然頭に入ってこないけど、
それでも、1回読んだ後は問題集を開いて、
問題集を回答と一緒に見ていくの。
そうしたら、すこしずつ何が重要なのか見えてくる。
それで、また教科書や参考書を読んで、
また問題を解いて、その繰り返し。」
「自分にはどんな方法があっていると思う?」
生徒:「うーん。とりあえず、教科書の内容をノートにまとめてみる。」
私 :「じゃあ、とりあえずやってみたら。
だめなら他の方法を試せばいいし…」
それから数週間して…
私 :「最近、勉強どう?」
生徒:「ノートまとめるの、チョー楽しい!」
私 :「どうやら、うまくいったみたいね。」
私が担任をしていた高校3年の生徒から、こんなことを言われました。担任が私になって、最初は、すごく困ったそうです。どうしてかというと、前の担任は、ああしなさい、こうしなさいといろいろ指示を出していたそうなのですが、担任が私に変わった途端、「どう思う?」と聞かれるようになったからです。
今まで言われた通りしていればよかったのが、自分の頭で考える必要が生じ、一時はパニックになったと話してくれました。でも、卒業前の今となっては、それがいい訓練になったと思うと言っていました。
それまで彼は、人が引いたレールの上を一生懸命走ろうとしていました。多少は反発を感じながらも、その方が安心感があったのでしょう。たとえうまくいかなくなったとしても、人のせいにできます。自分で選択すれば、人のせいにはできません。でも、彼は自分の人生を自分で選び、自分の足で歩んでいけるように成長しました。
ガミガミ言って勉強させることに、どれだけ意味があるのでしょう?彼らはもう高校生、早ければ卒業後すぐに社会に出るのです。社会に出れば、先生のように口うるさく言って面倒を見る人はいません。失敗するなら早い方がいい、まだ今なら失敗しても助けてあげられる、卒業したら、何もしてあげられない、私(Kumiko)そう思っていました。
「どう思う?」「どうしたい?」その口癖は、今の会社でも変わらないかもしれません。もちろん、学校ではないので、すべてを好き勝手にしてもらうわけにはいきませんが…。でも、できる限り、その考えは尊重してあげたい。